前置き

題名を見て頂くとお分かりになると思いますが、このページは「基本的な矢倉の戦い方」についてです。どちらかと言うとこのページは実際の詳しい棋譜をお話しするのではなく矢倉を戦う上で知っておいた方がいいことをお話ししていこうと思います。簡単に言うと知識ページです。それでは、どうぞ。

矢倉囲い

矢倉囲い(やぐらがこい)は、将棋において主に相居飛車戦法・相振り飛車戦法で使われる囲い。単に矢倉と呼ばれることが多く、美濃囲い、穴熊囲いと並んで代表的な囲いの1つ。居飛車で互いに矢倉囲いに組んで戦う戦型のことを相矢倉(あいやぐら)と言い、これも矢倉と略されることが多い。


概要

非常に古い戦型で、現存の棋譜では1618年(元和4年)8月11日_(旧暦)の本因坊算砂と大橋宗桂の対局が初出である。本因坊が矢倉囲いを用いた。

この戦型のオーソドックスさと歴史、格調について米長邦雄は「矢倉は将棋の純文学だ」と述べ、将棋の世界では広まった言葉になっている。相振り飛車でも用いられるが、その場合右側に矢倉囲いを作ることになる。

通常矢倉囲いとは、(相居飛車の先手番の場合)玉将を8八に、左金将を7八、右金将を6七に、左の銀将を7七に移動させたものをいう。通常の矢倉を金矢倉(きんやぐら)ということもある。角行の初期位置に玉将が来るため、角行をうまく移動させることが必要になる。相矢倉では6八の位置に角行が来ることが多いが、4六や5七、2六の位置に来ることもある。後手は7三に持ってくる場合が多い。上部からの攻撃には強い反面、7八の金を守っている駒が玉1枚だけであり、横からの攻撃にはそれほど強くないという特徴がある。ただし6八には金銀3枚の利きが集中しているので、八段の守りが薄いというわけではない。端は金銀の利きが無いためやや弱く、例えば桂香飛角を利かせて一気に攻め立てる雀刺しという戦法がある。

江戸時代には同じ音の「櫓」の文字を当てており、将棋歩式などの定跡書でも「先手櫓」「櫓崩し」などと表記していたが、昭和後期には「矢倉」の表記が一般的となった。ただ、升田幸三や山口瞳など、昭和前期に将棋を修行した人の著書では「ヤグラ」というカタカナ表記も登場していた。近年ではほとんどが「矢倉」である。語源については、加藤治郎が「お城の富士見矢倉、物見矢倉に形が似ている所からついたもの」と述べている通り、日本の城郭建築の櫓に形が似ていることから名前が付いたとされているが、別に享保年間に出た『近代将棋考鑑』には

この駒立やぐらというなり。いにしえ大阪北濱やぐら屋の何がしという人好みてこの駒立を指し申すによつてしかという

と記載されており、「矢倉」の語源の一説となっている。 

矢倉の囲い方

相矢倉の場合、初手から▲7六歩△8四歩▲6八銀△3四歩のあと、5手目に▲6六歩か▲7七銀とするのが最も一般的な出だしとされる(この5手目で▲6六歩とするか▲7七銀とするのかが、後述の急戦矢倉において重要な要素である)現代矢倉の出だしは24手まで定跡化されており、24手組と呼ばれる。旧24手組は中原、米長、加藤などが盛んに指しており、1980年代後半から飛車先不突矢倉の思想が取り入れられ、後手急戦の流行を経て1990年代前半から新24手組と呼ばれる形が定着した。図の局面に至るまで、若干の手順前後は駆け引きである。近年ではこれら以外の手順で始まる相矢倉、いわゆる無理矢理矢倉(ウソ矢倉)も指されている。たとえば▲7六歩△3四歩▲2六歩△4四歩とする振り飛車模様からや、▲7六歩△3四歩▲2六歩△8四歩▲6六歩とする横歩取り拒否からなど。 

矢倉の諸戦法

相矢倉

双方が矢倉を築いてから戦いを起こす指し方。多くの場合、先手が主導権を握って先攻し、後手が反撃する形になる。しかし、先手が敢えて後手に主導権を渡す指し方もある。相矢倉の場合、大半は以下のような、がっぷり四つの戦いになる。

  • ▲3七銀戦法(棒銀、4六銀・3七桂型、加藤流などに派生)
  • 森下システム
  • 雀刺し(▲2九飛戦法も含む)
  • 脇システム
  • ▲3五歩早仕掛け
  • 早囲い(藤井流を含む)
  • 四手角(相振り飛車における矢倉崩しにも応用される)
  • 三手角

急戦矢倉

急戦矢倉は角道を止めた先手に対し、後手から仕掛けていく。先手に主導権を握られる展開を避けたい、後手の積極策と言える。矢倉側は相手の急戦を警戒した駒組みが求められる。

  • 居玉棒銀 (超急戦棒銀)
  • 右四間飛車
  • 矢倉中飛車
  • 升田流急戦矢倉
  • 米長流急戦矢倉
  • 阿久津流急戦矢倉(中原流、郷田流、渡辺流とも)
  • カニカニ銀(主に先手番の指し方。5手目に▲7七銀とする)

先手が五手目に6六歩とするか、7七銀とするかで成立する急戦は異なり、例えば居玉棒銀や右四間飛車は6六歩型に、矢倉中飛車や阿久津流急戦矢倉は7七銀型に対して用いられる。米長流急戦矢倉のようにどちらでも成立する急戦もある。

有力な急戦矢倉戦法を開発した棋士が好成績を挙げることも多く、升田幸三の雀刺しや升田流急戦矢倉、米長邦雄の米長流急戦矢倉、谷川浩司の居玉棒銀などはタイトル獲得にも結びついている。(升田は大山康晴を破って三冠、米長は中原誠を破って四冠、谷川は羽生善治を破って永世名人になっている。)

変化型

相矢倉模様から急戦を仕掛けずに、趣の異なる作戦に組み替えるのも有力な作戦であり、相手の意表を突いたり、駒組みの不備や手順前後を咎める1手段である。

  • 右玉
  • 雁木
  • 陽動振り飛車(5手目が▲6六歩の場合に用いる)
  • 左美濃

矢倉囲いの変形

銀矢倉

金矢倉の6七金が銀に置き換わったものを銀矢倉(ぎんやぐら)と言う。5六の腰掛け銀を6七に引いて組むことが多い。7六の地点への攻めに強いことと、7八の金に6七の銀が利いていることが特徴である。また、右銀を6七まで持ってくるため、手数がかかるのが欠点である。7八と6八の両方に金を持ってきて4枚で囲う場合もある。

通常の場合、5六に銀を保留して▲6七銀は少し先送るものである。右辺の状態により▲6七金右なら金矢倉になる。急戦矢倉の右四間飛車から、持久戦にシフトした場合に現れることが多い。

片矢倉

金矢倉の7八の金を6八に変え、玉を7八に持ってくる形を片矢倉(かたやぐら、半矢倉)という。天野宗歩が愛用していたことから別名天野矢倉(片天野矢倉)とも言われる。囲う為の手数が1手少なくて済むほか、角の打ち込みに強い利点がある。一方で欠点としては、7九に金や飛車を打たれる心配がある、8七に利いている駒が玉のみなので8筋が弱くなっていることが挙げられる。

盤上に自分の角がいると組みにくく、また相手の角打ちを牽制している意味があるため角換わりでよく用いられるほか、角交換の起こりやすい脇システムと併用すると相性が良いことが藤井猛により発見され、この組み合わせを藤井流早囲いと呼んでいる。

片矢倉の6七金を5八金のままとした形(7八玉、7七銀、6八金、6七歩、5八金)は、コンピュータ将棋のBonanza Ver. 2 (2006年)が多用していたことから、ボナンザ囲いと呼ばれる。

総矢倉

金矢倉に右銀を5七の位置に加えたものを総矢倉(そうやぐら)という。金銀4枚で囲っているため堅い。(通称四枚矢倉だが、昔の本では三枚矢倉ということもある)角を4六に動かした場合に組まれることが多い。後手側で見られることが多い。

総矢倉の相矢倉となった場合には双方とも攻め手を欠き、互いに飛車を動かすだけの千日手となるのが通説であった。米長邦雄や谷川浩司らが千日手打開の手を模索し、実戦でも試みている。

矢倉穴熊

金矢倉から9八香~9九玉と組んだ形を矢倉穴熊という。先手4六銀・3七桂型からこの囲いに組む戦法がよく見られた。ここから8八金、または8八銀~7七金、と発展させることもある。7七金型は俗に「完全穴熊」とも呼ばれている。

まとめ

いかがでしたでしょうか!!矢倉の戦い方も上記のようにたくさんあるのです!拡散希望!
それでは、ご精読有難うございましたm(_ _)m
今回の記事はここまでです!


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